このページでは日本の相対的貧困率は15.7%、日本人の6人に1人、約2,000万人が貧困であり、相対的貧困率は先進国35カ国中7番目に高く、G7ではワースト2位の現在の日本の貧困について説明しています。
厚生労働省の「2018年 国民生活基礎調査」による相対的貧困の基準は世帯年収127万円とされ、相対的貧困率は15.7%に達している。※注2
つまり日本人の6人に1人、約2,000万人が貧困ライン以下での生活を余儀なくされている。
引用元:厚生労働省
※注2 厚生労働省「各種世帯の所得等の状況 P6」
なお絶対的貧困である1日210円未満で生活する人は100人中 0.5人、1日352円未満で生活する人は100人中0.7人だ。
1日210円未満で生活する人が200人に1人いるのは、1990年以前の高度成長期には考えにくい驚く数字であり、貧困は身近なものであるのがわかる。
2014年のOECDの調査では日本の相対的貧困率は先進国35カ国中7番目に高く、G7(フランス、米国、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ)では米国に次いでワースト2位だ。
意外であったのは米国がG7で貧困率ワースト1位だったことだ。
米国は常に競争力があり、1つの産業が他国に抜かれても新たな産業生まれ経済成長は止まらないイメージがあったからだ。
米国という国は努力するものには与えられ、努力しないものには与えない国だという事を強烈に思い知らされる。
日本がワースト2というのは、なんとなく納得できる。
日本が競争力を失った原因は様々にあるが、まったく失ってしまったわけでない。世界トップクラスの企業は数えきれないほどある。
ではなぜ貧困率ワースト2がなんとなく納得なのか?
日本も米国と同様、努力しないものには与えなく国になっているからだ。
実にわかりやすい構造だが、学業にまい進し、常に興味や疑問を持ち、高い行動力やモチベーションで生きている人には貧困とは無縁の国が米国であり日本だ。
学業をないがしろにし、中途半端な大学に進学、興味や疑問を持っても追求せず、楽な生き方をしている人間には貧困を与える日本だ。
諸外国、特にアジアから川口にやってくる外国人の多い発展途上国は、フィリピン、ベトナムが該当するが彼らから見た日本はどのように見えるのだろう。
ユタカな生活ができているように見えるのだろうか?
筆者は長い間、激しい競争の中で生きてきたので、日本が如何に求める者にはチャンスを、求めざるものには転落と精神的、生活的苦痛を与える国か理解しているつもりだ。
精神的苦痛、生活的苦痛とは、仕事はあるが自分がこれ以上、精神的、経済的にゆたかになる可能性はほぼゼロで、一生、仕事でのハードワークやストレスと自由に使える時間が極端に少なく、経済的にもユトリのない生活を強いられることを意味する。
1980年~1990年にかけて日本経済は絶頂期をむかえ、この時代に働いていた人が得たものと、2000年以降社会人になった人との日本経済、日本の実情の感じ方は恐らく極端に異なる。
筆者は2000年以降の就職超氷河期と言われる時代に就職した人間だ。
就職氷河期とは1970年~1983年生まれ、1990年~2000年までに就職活動をした世代をさす。
一部上場企業の上位50ともなると、今のユルユルの就職事情では想像できないキビシイもので、スーパーマンクラスの人材を揃えることが可能だった時代だ。
幼少期から努力しないものは人として見なされないような環境で育ったため、努力することが当たり前であったことが功を奏し、努力に次ぐ努力で組織の頂点に位置する層まで上り詰めた。
その間見てきたのが、能力がありながら日の目を見る事ができない人がいかに多いか、その原因は能力ではなく求める力に欠けており、求める者にしか与えられない現実に気付かないのか受け入れられないのかはわからないが、
精神的苦痛、生活的苦痛の中でもがく姿を見続けた。